COMET実験は、荷電レプトンフレーバー非保存過程の1つであるミューオン電子転換過程を探索する実験です。久野研究室の中心となる研究です。

素粒子物理学の現状と荷電レプトンのフレーバー

平成24年に欧州CERN研究所のLHC実験においてヒッグス粒子が発見され、素粒子物理学が活況を呈しています。しかし、LHCにおいてヒッグス粒子以外の新粒子は発見されておらず、素粒子標準理論を超える新しい物理現象のヒントは未だ得られていません。このような状況を踏まえ、新しい物理現象のヒントを得るために、稀な崩壊過程を探索する実験が注目を集めています。というのも、稀崩壊探索では、量子補正による効果を使って加速器では直接生成できない大きな質量の新粒子の存在を研究することができるからです。

この量子効果は非常に小さいので、標準理論では禁止されている過程を研究対象にするのが最善です。そのベストな研究対象の一つとして、ある種の荷電レプトンが別種の荷電レプトンに変換する過程(たとえば、ミューオンが電子に転換する過程)が考えられています。これを、荷電レプトン・フレーバーが保存しない過程(以下、CLFV = Charged Lepton Flavor Violation と参照)といいます。

荷電レプトンのフレーバーと新しい物理

さて、標準理論からどの程度のCLFVの発生確率が予測されるのでしょうか?ニュートリノ振動実験の結果からニュートリノは別種のニュートリノに変換し、ニュートリノではレプトン・フレーバー保存は破れていることが知られています。しかし、このニュートリノ振動の効果を考慮しても、標準理論で予測されるCLFVの分岐比は10-54以下であり、限りなく小さいことが知られています。すなわち、標準理論ではCLFVはほとんど禁止されていて、CLFVが実験的に観測されると、それは曖昧なく新しい物理現象の発見を意味します。一方、現在考えられている多くの新しい理論モデルでは大きなCLFV発生確率が予測されています。たとえば、超対称性理論、Little Higgs理論、余剰次元理論、TeVニュートリノシーソー理論などの理論モデルでは、次世代の探索実験が目標とする実験精度の範囲内でCLFVが起きると予言しています。

CLFV探索実験において重要なのは、荷電レプトンを多く生成できることであります。その観点にから、ミューオンはタウレプトンと比較して優位です。ミューオンのCLFVとしては、ミューオンが電子と光子に崩壊する過程(μ→eγ崩壊)と、ミューオン原子でミューオンが電子に変わる過程(μ-+N→e-+N でN は原子核、以下、μe転換過程と参照)の2つの過程が重要と考えられています。前者はスイスのPSI研究所のMEG実験で探索が続けられ、後者はCOMET実験でその探索を開始しようとしています。

一般に、CLFVを引き起こす物理メカニズムは、光子を伴う相互作用と光子を伴わない相互作用に識別されます。光子を伴う相互作用が優位である場合は、μ→eγは観測され、μe転換過程も(仮想光子と核子の電磁相互作用で)μ→eγの数百分の1の分岐比で観測されます。また、光子を伴わないような相互作用が優位な場合は、μ→eγは観測されませんが、μe転換過程は観測されることがありえます。また、μe転換過程では(後述のように)105MeVのエネルギーの電子を1個測定するだけであるので偶然事象バックグラウンドがなく、ミューオンビーム強度に制限がなく実験感度を大幅に向上させることができる実験面での利点もあります。

ミューオン電子転換過程とは?

μe転換過程を探索するには負電荷ミューオンを使ってミューオン原子を生成します。ミューオン原子の基底状態にいるミューオンがμ-+N→e-+N 反応を起こすと、約105MeVの運動エネルギーを持つ電子が1個放出されます。この電子を測定することによって、μe転換事象を同定します。背景事象としては、ミューオン起源とビーム起源のものがあります。

COMET実験とは?

COMET (Coherent Muon to Electron Transition) 実験は、3x10-17の1事象発見実験精度でμe転換過程を探索します。この実験精度は 現在の実験上限値を約10,000倍上回ります。COMET実験は、茨城県東海のJ-PARC大強度陽子加速器施設のハドロンホールで遂行されます。COMET実験のレイアウトを図1に示します。J-PARCの主リングからの陽子ビームをパイオン生成標的に照射し、発生したパイオンをソレノイド磁場で捕獲します。パイオンは、180度湾曲ソレノイドから構成されるミューオン輸送部内でミューオンに崩壊し、このミューオンを効率良くミューオン静止標的に輸送し静止させます。ここで、湾曲ソレノイドは電荷と運動量を識別できるので、低エネルギーの負電荷ミューオンのみを選択し輸送します。

ミューオン静止標的に静止したミューオンから発生した電子は、180度湾曲ソレノイドからなる電子輸送部で105MeV領域の電子のみ選択し、検出器部に輸送します(図2)。検出器は、真空中に置かれたストローガス飛跡検出器とシンチレーション結晶からなる電子カロリメータから構成され、μe転換過程の電子の運動量とエネルギーを測定します。2x107秒のデータ取得期間で、総量2x1018個のミューオンを蓄積して実験目標を達成します。米国フェルミ加速器研究所でも、同じような探索実験(μ2e実験)が準備されており、熾烈な国際競争となっています。

COMET Phase-I とは?

最近、時間的および予算的な観点から、COMET実験をPhase-IとPhase-II の2段階で推進する方針が決まりました。Phase-I では、ミューオン輸送部の最初の90度湾曲部までを製作します。図3にCOMET Phase-I の全体図を示します。平成24年度補正予算でその建設費が認められました。COMET Phase-I では、Phase-II での電子輸送部がないためにPhase-II での測定器をそのまま使用することが困難です。その代わりに、円筒ドリフトチャンバーを使用することにしました。COMET Phase-I では、COMET Phase-II でのビーム起源バックグラウンド源の直接測定も行います。COMET Phase-I での実験感度は、現在の実験上限値を約100倍程度向上した実験精度、すなわち、3x10-15の1事象発見実験精度であり、2016年からの実験開始を目指しています。もしμe転換過程が発見されれば、ヒッグス粒子発見に次ぐ素粒子物理学の大発見となるでしょう。

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